ル・マン チョコっとええ話
『第82回ル・マン24時間耐久レース』で、
中嶋一貴が、日本人ドライバーとして初となるポールポジションを獲得しますた
90年を超す歴史を持つ「ル・マン」ゎ、
F1の「モナコGP」、アメリカの「インディ500」と並んで
『世界3大レース』と称されるビッグイベント
さしずめゴルフなら、「松山英樹くんが全米オープンで2日目を終えて単独首位」
みたいな感じなんぢゃろが、日本
でゎネット以外ゎほぼスルー

かくなる上ゎ、決勝でもトップチェッカー
を受けて、
史上初の、日本人ドライバーによる日本メーカーのマシンでの優勝
を期待しませう
さて、冒頭書いたよーに、長い歴史を誇る「ル・マン」でつが、
ワタクシがどーしても忘れられないレースのひとつが、
今からちょーど20年前の第62回ル・マン24時間(1994年)でつ。
この年のル・マンにゎ、ローランド・ラッツェンバーガー(通称:ラッツェンさん)が、
チーム・サード・トヨタからマウロ・マルティニ、ジェフ・クロスノフとともに参戦するはずですた。

ところが、ラッツェンさんが同年のF1サンマリノGPで事故死したため、
チームはF1ドライバーのエディ・アーヴァインを急遽代役に立てますた。
エディゎ、後にフェラーリに乗り、チャンピオン寸前まで行ったドライバーでつが、
前年まで日本を拠点にレース活動をしており、他の3人とゎ親友だったのでつ。
そーして迎えたル・マン本番、チーム・サードゎ、
マシンに3人のドライバーとともに、ラッツェンさんの名前もプリントし決戦に臨みまつ。

実ゎ、この年のルマンゎレギュレーション上の落とし穴があり、
ポルシェが、本来ゎスポーツプロトカーのマシンを、1台だけドイツでロードカー登録して、
レギュレーションで有利な市販車クラスで出場してきますた
圧倒的不利の中迎えた決勝、
サード・トヨタと、日本から参戦したもう1台のトヨタであるトラスト・トヨタが
2台のポルシェと激しい首位争いを繰り広げ、
夜になると、なんと2台のトヨタがポルシェを次第に引き離す展開になりますた。
その後2日目の明け方に、トラスト・トヨタゎミッショントラブルで後退しまつが、
サードゎ順調にポルシェとの差を広げていきまつ。

しかし、総合優勝は間違いないと思われた、残り1時間15分
サードのマシンゎ突如ピットロードの出口で停止しますた
シフトリンケージのトラブルですた
マシンから降りたドライバーのジェフ・クロスノフが、
マシン後部に直接手を入れ自力で修理、ピットまでマシンを戻すことに成功しますたが、
メカニックの緊急修理を終えてコース復帰するまで、実に30分を失い、
一気に3位まで転落しまつ

残り45分、最後にマシンを引き継いだエディ・アーヴァインゎ
ピットを飛び出すや、予選並みの最速ラップを連発し2台のポルシェを追いまつ
そして迎えた最終ラップ、ついに2位のポルシェに追いついたアーヴァインゎ
最終シケインで2位を奪取したのですた

この話にゎ後日談がありまつ。
1カ月後にフランスから船便でガレージに戻ったマシンゎ、すぐに分解されますた。
そのときスタッフゎ、ほぼ丸坊主になった3速ギアをハケ~ンしまつ
ピットに戻るとき、クロスノフゎギアを3速に固定したまま走らなければならず、
そのためギアが摩耗してしまったのでつ。
つまり、アーバインは摩耗した3速を使わず(使えず)に最速ラップを刻んでいたのでつ
そのアーヴァインゎレース終了直後、
「ローランドがいれば楽勝ぢゃったね
」とのたもーたとか

ちな、このときのマシン、トヨタ94C-Vゎ、現在ル・マン博物館に収蔵され、
今も当時の激闘を称えられていまつ
94年のレースをはじめ、いくつものレースを2位で終えているトヨタのマシンでつが、
今年こそ悲願達成なるでせうか
今年のル・マン、間もなくスタートでつ
最後までご覧いただき、ありがたう御座ゐまつ。
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中嶋一貴が、日本人ドライバーとして初となるポールポジションを獲得しますた

90年を超す歴史を持つ「ル・マン」ゎ、
F1の「モナコGP」、アメリカの「インディ500」と並んで
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みたいな感じなんぢゃろが、日本



かくなる上ゎ、決勝でもトップチェッカー

史上初の、日本人ドライバーによる日本メーカーのマシンでの優勝


さて、冒頭書いたよーに、長い歴史を誇る「ル・マン」でつが、
ワタクシがどーしても忘れられないレースのひとつが、
今からちょーど20年前の第62回ル・マン24時間(1994年)でつ。
この年のル・マンにゎ、ローランド・ラッツェンバーガー(通称:ラッツェンさん)が、
チーム・サード・トヨタからマウロ・マルティニ、ジェフ・クロスノフとともに参戦するはずですた。

ところが、ラッツェンさんが同年のF1サンマリノGPで事故死したため、
チームはF1ドライバーのエディ・アーヴァインを急遽代役に立てますた。
エディゎ、後にフェラーリに乗り、チャンピオン寸前まで行ったドライバーでつが、
前年まで日本を拠点にレース活動をしており、他の3人とゎ親友だったのでつ。
そーして迎えたル・マン本番、チーム・サードゎ、
マシンに3人のドライバーとともに、ラッツェンさんの名前もプリントし決戦に臨みまつ。

実ゎ、この年のルマンゎレギュレーション上の落とし穴があり、
ポルシェが、本来ゎスポーツプロトカーのマシンを、1台だけドイツでロードカー登録して、
レギュレーションで有利な市販車クラスで出場してきますた

圧倒的不利の中迎えた決勝、
サード・トヨタと、日本から参戦したもう1台のトヨタであるトラスト・トヨタが
2台のポルシェと激しい首位争いを繰り広げ、
夜になると、なんと2台のトヨタがポルシェを次第に引き離す展開になりますた。
その後2日目の明け方に、トラスト・トヨタゎミッショントラブルで後退しまつが、
サードゎ順調にポルシェとの差を広げていきまつ。

しかし、総合優勝は間違いないと思われた、残り1時間15分

サードのマシンゎ突如ピットロードの出口で停止しますた

シフトリンケージのトラブルですた

マシンから降りたドライバーのジェフ・クロスノフが、
マシン後部に直接手を入れ自力で修理、ピットまでマシンを戻すことに成功しますたが、
メカニックの緊急修理を終えてコース復帰するまで、実に30分を失い、
一気に3位まで転落しまつ


残り45分、最後にマシンを引き継いだエディ・アーヴァインゎ
ピットを飛び出すや、予選並みの最速ラップを連発し2台のポルシェを追いまつ

そして迎えた最終ラップ、ついに2位のポルシェに追いついたアーヴァインゎ
最終シケインで2位を奪取したのですた


この話にゎ後日談がありまつ。
1カ月後にフランスから船便でガレージに戻ったマシンゎ、すぐに分解されますた。
そのときスタッフゎ、ほぼ丸坊主になった3速ギアをハケ~ンしまつ

ピットに戻るとき、クロスノフゎギアを3速に固定したまま走らなければならず、
そのためギアが摩耗してしまったのでつ。

つまり、アーバインは摩耗した3速を使わず(使えず)に最速ラップを刻んでいたのでつ

そのアーヴァインゎレース終了直後、
「ローランドがいれば楽勝ぢゃったね



ちな、このときのマシン、トヨタ94C-Vゎ、現在ル・マン博物館に収蔵され、
今も当時の激闘を称えられていまつ

94年のレースをはじめ、いくつものレースを2位で終えているトヨタのマシンでつが、
今年こそ悲願達成なるでせうか

今年のル・マン、間もなくスタートでつ

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